幸せは心が決める

「相田みつを」さん書の『幸せは心が決める』という言葉は有名です。

喫煙していたころは、好きな言葉ではありませんでした。
誰もが幸せを願っていると思いますが、
心のありようで幸せだったりそうでなかったりするのかと、
何となく違和感を感じていました。
幸せとは思い方のことか・・・

幸せとは、努力や忍耐の末に手にするもの、たとえば受験のようなに考えていました。
目的が達成されたときに、幸せを感じる。
それとは関係なく、幸せは心が決めるとは、ようするに思いようで幸せになれるのか?
努力も忍耐も必要ないのか。

ちょっと、不真面目に・・・
仏陀の考えたこと?
というふうにはじめると、お経の解説になり、まとまりもつかないし、きちんとできるとも思えない。
では、大脳の新皮質の役割は?
というようにしたら、いい加減の思いつき話にしかならない。

仏陀のそばに仕えて最後まで世話をしたアーナンダは、たくさんの話を仏陀から聞かされたが、仏陀が在世中は覚りを得ることができなかったそうです。
多くの人は、仏陀を見ただけで覚りを得ることができたり、話を聞いただけで覚ることができたそうです。
アーナンダは、あまりにもたくさんの話を聞き、話の世界に取り込まれ、話と話の整合性ばかりが気になり、迷いのために迷ったのではないかと思います。

脳は、肺から取り込まれた酸素と、食物として摂取されたエネルギーの20パーセントを消費するそうです。
おおよそ100億個を越える数の神経細胞からできていて、それぞれの神経細胞はニューロンを伸ばし、他の神経細胞とシナプスで結合しているそうです。
脳の特定の部分と身体の手足などが結びついているそうです。
脳科学はどんどん進化して、たくさんのことが解明されているそうです。
ところで、コンピュータの処理速度とメモリーがどんどん早く大きくなって来ました。
データ処理は、動画を器用に処理できるようになり、現実のような場景や人や動物を生成することができます。
コンピュータが、膨大な情報や知識を整理してくれるような気がします。

アーナンダは、仏陀がいなくなった後は、アーナンダ自身を燈火として自分を頼りにして精進しなさいと、仏陀に諭されます。



お経は漢文のままで、漢文というのもサンスクリット語の音を表しているようなままで、いいのかな?、この国の仏教学は終わったような気がする。
まっいいか♪
お寺に救いを求めて行く人はいないだろうから・・・
いいや、浄土真宗は違うかも、蓮如さんは口語体で書いた御文がたくさんあるし、親鸞も仏教研さんを和歌や標語にしている。

人の存在と認識についての意識は、大脳皮質を大きく成長させる要素にもなっているのではないかな、長い時間の中で、相互にその重さを加速する関係にあるような気がする。

タバコを嗜好品や手慰み位に思っているのは、言葉の力を利用しているだけで、事実は異なります。その根拠は、禁煙が人生の生活の一大事になっていることにあります。いろいろなアイテムが販売されて、GDPを増大させ、エネルギーを費やす。

タバコで生きた過去と、必ず向き合う必要があることに気がつけば、半分は解決する。心とはそんなものだ。手慰みとうそぶいても、昔のことにこだわりながら生きている。

タバコと向き合えるのは、運のいい人だと思う。
健康で真面目でいいところばかりの人だから、しっかり苦しむことになる。
だから、幸せは心が決めるということが、そうだったのかとうなずくことができる。

・・・・もう少し、つづきかも
Category: 今日のコラム
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