タバコとの日々

禁煙して8年も過ぎ、いまさら過去のタバコ人生を振り返る意味は?

タバコのドラマは禁煙で終わりのようですが、禁煙の翌日からはタバコをやめた日々が始まります。
人生は一つ、その主人公も一人なので、喫煙と禁煙は別々の出来事ではありません。

喫煙の悪から禁煙の善、喫煙は敗北で禁煙は勝利、そのような思いがあります。
禁煙をはじめると、喫煙者を非難するようになりがちです。
ある意味の差別のような意識さえ生まれてきます。
禁煙至上主義、または禁煙原理主義でもいいですが、その信奉者になって行きます。

人生のある時期を区切りに、善悪、裏表に、二分する出来事は、大変なストレスになります。
禁煙はそのストレスもエネルギーにかえて、さらに自分を追い込んで行きます。

このようなストレスが掛かるときにこそ、タバコを吸って頑張ってきたのです。


禁煙を開始してから、心の落ち込みがはじまりました。結局、8年後の今も、その心の落ち込みは完全に良くなりません。気分障害が禁煙と一緒にはじまったのかも知れません。禁煙と関係ないのかもしれません。

あるとき、「毒矢のたとえ」という話を知りました。
毒矢が刺さって瀕死の者がいる時、その毒の種類は、毒性は、成分は、そしてどのような経過をたどり重篤となるのかなどと議論するより、一刻も早く毒矢を抜くことが大事だという話です。

8年の禁煙で、毒矢はそのままで、ただ禁煙の知恵だけがたくましくなりました。今ごろに、残された毒矢のうずきに耐えられなくなって、引き抜こうとしています。

禁煙の方法論や意義よりも、タバコを失って途方にくれる心のケアが大切です。上手く切り抜けられた人も、どこかに無理をして来なかったか、振り返ることが大切かも知れません。
禁煙のストレスや気持ちの落ち込みには、認知療法が良いように感じます。認知の歪みから解放されると、気持ちの落ち込みやストレスは軽くなると思います。
Category: 今日のコラム
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