依存とは「空」なり

なぜ、禁煙できたのだろうか?

たまたま、ある人から禁煙セラピーという本をもらって一気に読んだ。
読みながら、自分はタバコ依存症なのだということが分った。依存症だという分ると、それならやめられると感じた。その日に、持っていたタバコや愛用のライターをコンビニのゴミ箱に捨てた。それから再びタバコを吸うことはなかった。吸いたいという気持ちも消えてしまった。
依存症であることを意識できたら、その依存症を克服できた。これは自分だけの特別なことなのだろうか。

苦が消滅したとき、あるいは快が飽和したとき、幸せを感じる。
タバコは苦を和らげるはたらきがある。そしてタバコの依存がはじまる。

禁煙は、その苦を和らげることをあきらめること、あきらめることを好いことと思うことである。
あきらめるとは、物事を明らかにして究めることの意味だそうだ。
禁煙セラピーで自分に起きたことは、タバコ依存の正体を明らかに究めたことだと思っている
それで、まっめでたしめでたしというわけです。

問題は、この後のことです。

タバコの正体は、依存である。依存を煩悩の執着というならば、色即是空、空即是色というわけです。
禁煙セラピーは般若心経のように、依存は空であると明らかに究めさせてくれました。
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依存とは空なり
仏教でいうところの空とは、全ての事象は縁起によって成立しており、縁起によってまた消滅する、というように(わたしは)理解しています。
例えば、自分が所属する会社や学校などは、縁があってそこに所属したのですが、その縁がなければ所属することはなかった。あるいは、所属したがまた縁によって所属から離れることもある。
会社や学校に所属することで、いろいろな事が起きてきます。しかし、所属しなかったとしたら、いろいろな事は起きませんし、そもそも所属しない会社も学校も意味を失います。
タバコの依存というものは、はじめに自分がいてタバコがあって、そして自分とタバコを結びつける縁があって、依存するようになったのです。
自分もなく、タバコもなく、また出会うこともなければ、依存という症状もないのです。
自分やタバコが存在しないという考えは理解しくにいです。しかし、タバコと自分の出会いについては、あることもないことも在り得る事です。その結果の依存ということも、出会いそのものがなければ成立しないのです。依存からの離脱や、依存克服の苦しみなども同じです。
縁を、関係というように言葉を変えてみます。
タバコと自分の関係により、依存が起きたのですが、その関係を変えることが、依存の克服ということです。禁煙するということです。
この関係をどのように意識するかということが、認知療法の認知ということに重なります。認知の結果として感情か起きます。認知療法では、認知の歪みにより、受け入れられない感情が起きて、それを抑圧することから、心に問題が発生するとしています。
事象は関係により成立し、絶対ではないということです。依存は空ということです。
関係により成立することは、関係により変えることができます。そのときの感情は関係の受け止め方により変わります。関係が絶対ではなく、また感情も絶対ではない、このことを空というのです。感情を無視してよいといっているのではなく、感情もまた関係で変えていけるということです。不快な感情に支配されのではなく、快適な感情を生み出すことも可能ではないかと思っています。
Category: 禁煙とうつ
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