土地はだれのモノ

サンデル先生の白熱教室で、土地はだれのモノかという問いがあります。
これもまた、ぼくの勝手な理解です。正確には、サンデル先生の著作をお読みください。

現在、土地は所有者がいて売買取引がされています。
誰も不思議に思いませんが、土地は人間が存在する以前からあったのです。
それをある時から、個人、集団、あるいは国が所有するようになった。
どこからかやって来た個人や集団は、誰もいない土地に柵をめぐらした。
野生動物から農作物を守るためだったのかもしれません。
土地の所有は、むかしむかしのそのむかしこれこれこういうわけで、という歴史を持って成立したものです。
その土地所有の権利をだれも疑わずに売買したり譲渡したり買ったり譲り受けたりしているのです。

モラルや正義に適うものでなくては、社会に生きることができません。資格が無いのです。
土地に限らずモノの所有者はだれであり、それを所有者の承諾なしに奪い取ることは許されない、このことを幼い時から教え込まれます。

※日本猿の集団の観察では、どんなに序列の低い猿でも、幼い子猿でも、いったんその猿が手に持った食べ物を、序列の上の猿、たとえボス猿であっても奪うことはないそうです。集団にはそういう約束があるそうです。

このような順法意識がどこからはじまったのか知りませんが、人は社会に生まれ社会の一員として学び成長して、やがて後から生まれる人の模範となり、指導者する人となる。

兄弟姉妹、そして家族、夫婦、親類縁者、一族、近所地域、地区部落村町郡市、国
学校、会社、チーム、グループ、サークル
自分を生きるとは、この状況を生きるということです。
自分を生かす望ましい社会とは何か、それを考えるのが政治哲学であると、サンデル先生は語ります。
社会を構成する人々のより良い幸福のために合意を生み出す方法が政治だと思います。
その政治を考えるのが哲学なのです。

サンデル先生は、政治哲学にはいろいろな考えがあり、結論は出ていない、しかし生きていかざるを得ない、生きているとはひとつの結論を生きているということだ、といいます。
ここを、ぼくは自分の存在理由にまでつなげたいと思っています。
何が何だか分からないままに、途惑いながらも、自分が生きていることがすなわちひとつの結論生きていることなのだと思うのです。
そのひとつの結論である自分は、数十億人も存在する地球上の人間の合意形成の一つの要件として無くてはならない必須の存在なのだと思います。その一つの結論を生きているのだと思います。


Category: 今日のコラム
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