起訴すべし

市民の代表11人が起訴すべしと結論を出したという、大物政治家のいわくの報道は延々と続けられている。彼を引き摺り下ろそうというエネルギーは何処から出ているのか。市民の代表とか、市民感情とか、一般市民とか、庶民、国民の立場からという言葉を用いる側に、衆愚を動かす目的がある。市民の代表の判断、市民の代表と口にする側には目論見がある。過去の歴史を見るにつけそうなのだから。

人間は人の中でしか生きられないから、所属する集団の多数の側にいること、あるいは権力を持つの側にいることにとても敏感です。それは、家族やご近所、学校や職場でも同じ判断をしています。しかしそれらは時間とともに変化していく関係です。ある意味では、その判断が変化させていとも思います。

11人の判断が、その11人が市民の代表かどうかの議論には何の意味もなく、ここで投げられた起訴すべしの判断がひとつの変化を起こし、それは連鎖して、いろいろな事象を引き起こしていくことになると思います。普通の市民がどこかで事象に関係していくことになり改めて判断することになり、これこそが真の意味の市民の判断ということになります。

高齢者の仲間に入り、自分の人生の残りは10数年くらいだと思います。
自分がいなくなる遠い先の利益のことで悩むことには意味がありません。もちろん、どうなっても良いというのではありません。
息子や娘、孫子の時代は、自分のその先を生きる人たちの世界は優しく豊かななってほしいと思います。

川は必ず低いほうに流れ、どの流れもいつかはひとつに集まり、大河となり海へとつながります。
11人の判断からはじまるドラマも、その11人が市民の代表かどうかの議論には意味もなく、流れは流れるままに流れていきます。

この話の落ちどころは、いくら水を高きに導こうとしても無理だということです。あちらが低そうに見えるとしても低い方低い方へと流れていきます。途中に大おきな堰や土手を作ってもいつかはあふれてしまいます。

Category: 今日のコラム
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