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虹というキーワード

One day over the rainbow.

禁煙してから問題となったのは心でした。
タバコの煙で誤魔化してきた心は、禁煙とともにあらわになってきました。
その正体は弱々しくいじけてすねた心でした。
心の扱いに悩みながら、いろいろなことを経験していきます。
それを禁煙の後遺症と考えました。
はじめは、禁煙をするときに心の問題も考えることが大切だと思いました。
あれこれ考えるうちに、禁煙で起きることは、根っこに生き方の問題があると感じるようになりました。
禁煙で浮かんでくる心の問題は、禁煙以前にも心の問題なのでした。タバコの煙で誤魔化して来れたのかも知れません。
タバコを吸わないでいたら、もっと早く正面から向き合ったかも知れません。いや、向き合わないでこれたから良かったのかも知れません。
すでに、喫煙しての人生を過ごしてきたから、今更どうこう考えても仕方ないことです。
現在は過去から当る光の投影です。周囲の風景は過去からの光によって見えるのです。
禁煙は特別の出来事と言えるでしょう。だから、禁煙したことに問題の原因があるように思えましたが、本当の原因はもっと奥に隠されています。

禁煙してからのこれから、人生に虹をみることができるでしょうか。
禁煙完了を区切りに、新しい光を点け直して、新しい虹をみたいと思います。
新しい光を点け直すためにしばらくブログを続けます。

禁煙は完全に過去のことになりました。
「今日から変わる」という言霊に力をもらって虹をみたいと思います。

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禁煙の後遺症と考えて、薬物依存一般に重ねたり、自分との対応について認知心理学的な方法をイメージしながら、右往左往して来ました。
禁煙の後遺症と考えたのは、一つのアイデアでした。禁煙を振り返りながら降りていくと、そもその禁煙そのものが自分の人生のドラマの一つで、禁煙を通して問題が見えてきたものと、思うようになりました。禁煙の後遺症では収まりきれないことがらが見えてきました。そもそも、そういうものだったのでしょう。
ここからは、楽しい禁煙応援団リターンズというより、自分の自身の応援団を生真面目にやり直すことのような気がします。

ここから先は、禁煙仲間との再会の目的はなくなりました。
タイトルを変えて・・・いつかはブログを閉じるまで書いていきます。

鏡を見る習慣

生活や仕事や、人生のいろいろなことに追い回されていると、自分に夢や目標があったことなどを忘れてしまいます。
あれを片付けこれを解決して、自分の身の周りだけでもたくさんの面倒なことがあります。
仕事をしている人は、自分の要求ではなく、組織や仲間の要求によって追いまくられることになります。
それこそ、自分どころではなく、家庭や家族との憩いの時間、大切な人との時間すらなくなることになります。

悩んだり心配したりするのは、自分自身の命に関わることだからです。
大切な時間なのです。

鏡を見て自分と出会っていますか?

鏡の中の自分は、現在の自分の投影です。
鏡に映った自分に心は揺らぎ、揺らいだ心がまた鏡に映ります。

いやな顔ですか、いい顔ですか?

認知心理学に、鏡療法はありませんが、
このところ必要で読んだ美容の本の中に、鏡を見る習慣のことがありました。

美容の本ですから、鏡を見ることは大切なことです。
自分の髪や肌の状態を良く観察すると、生活の状態、つまり食事に睡眠、そして健康状態が見えてきます。
表情からは、心のありようも見えてきます。

見たくないですか?
元気で、健康で、美しい顔ならば、見ていて嬉しいですが、
もし、そうでなかったら、辛いですね。

しかし、見ることが大切です。
ありのままを見る勇気がとても必要ですが、
痛んだ肌や、ボサボサの髪、悲痛な表情を、時間をかけて見ていると、
その荒れた表情の奥に、夢や希望、目標が置き忘れられていたことに気がつきます。
自分を忘れて生きることは、光を失って生きることです。
つづきはこちら

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男らしい!

男らしい!
月曜の田岡さんの人生相談の中に、・・・お・とこらぁしい(関西風に)
というくだりがありました。

内容は、自分には力が無いお金も無い、生活に困難極まる兄弟がいる。
助けてやることができない。というようなことで、苦しむ人の相談だった。

田岡さんアドバイスは、
自分の無力さを認めて受け入れて、情けなさを越えて、相手に許しを請うこと、それが男らしい。
「すまない、何もしてやれなくて、金も力も無くて、申し訳ない」
こんな気持ちが自然に持てたら人生が変わると思う。
ありとあらゆるものにきちんと向き合って、わが身の力の無さを詫びる。

世の中に、たくさんの困窮する人たちがいる。
自分にはその人たちを何とかしてやる力が無い。
そのとき、何もできなくて申し訳ない、という言葉をかけられるか。

自分を背負って生きるしかない自分、こんな自分になってしまった自分、自分を救うこともできない自分
自分に、申し訳ない、という言葉かけてやりましょう。
それが、男らしい・・・
女性なら人間らしい・・・
ということかな

それは自己責任だ、と言い出したら、はたして自分はだれを頼りにすればいいのか・・・

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不安2

雪道、ブレーキが効かず、ハンドルを回しても曲がってくれない。
そこはいつも通るカーブ、少し下り坂、雪の日、慎重運転でスピードは出てなかった。
しかし、軽いブレーキでもいったん滑り出すと、ハンドルは利かない、どうにもならない。
雪のかたまりに突っ込んで止まった。
慎重運転のお陰で、車にへこみもキズもできなかったが、その瞬間は真底の不安と恐怖を味わった。

運転というのは、目的地への行く意志と、道路状況の認知判断、そして運転操作だ。
いつもの道を、いつものように、慎重に運転していて、思いがけないアクシデントがあると、不安や恐怖を感じる。

心は、まだ起きていない未来を予測しながら、刻々の変化を認知し判断し、動作をして行く。
歩くとき、ふつうは右足を出したから次は左足と考えることはない。
しかし、うまく歩けて倒れないのは、体の仕組みが自動的に反応するようになっているからだ。

それを忘れて、何もかも自分の意志でコントロールしているように思ってしまうと、
雪道の運転のように、コントロール不能のパニックにおちいる。

自分の手足をさすって、この足とこの手によって、自分の意志を実現していることを再認識した。
だから、オリンピックに出るような走りなど、無理無理
しかし、器用に楽器を楽しんだり、絵を画いたり、できるじゃないか。
何ができないではなく、何ができるか、そこに面白みがある。
人生は運転。

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不安

不安は、遭遇した状況に対して自身の安全を図るために、逃げるか戦うかという、瞬時の判断をしたときに起こる。
生きるというのは、安全と寝食、そして子孫を残すこと。
人はパンのみに生きずというのはもちろんだが、存在する基本はどの生き物も変わらない。

安全の確保は周囲の観察と警戒である。
心、あるいは脳は、第一優先の、この活動ためにいつも緊張している。
スポーツやゲームで模擬的に楽しむことがだきるから、この緊張は気持ち良いことでもあるようだ。
ドキドキは、それが解消されるとき、爽快感を生む。
緊張時にホルモンのアドレナリンが分泌され、心身は臨戦状態になる。そして、アドレナリンが消滅するとき爽快感が生まれる。
心身をコントロールする仕組みは不思議なものだ。

自然の仕組みで有益である仕組みが重荷になることが問題だ。

無理に不安を消滅させようとする。
いっさいの不安を感じてはならない。
不安を感じることなどあるはずがない。

禁煙・・・
わかりますか、その方法、その考え方・・・
どこか間違った方向に進んでいませんか?

※中途半端だけど、つづきはありません。
思いついたら、また書き続けます。


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タバコの正体(誰も語らない真実、ケケケ・・・)

タバコは少量で覚醒作用、大量で鎮静作用、実に便利なアイテムです。
スパスパっとやれば、朝の目覚めは瞬時に!
スーパースーパーとやれば、心はゆったり悩みも消えていく。

で、誰も語らないし・し・しんじつ・・・を語りましょう。

実は、スパスパもスーパーも、悲しいことに終わりが来ます。
ほとんどの人は、今日と同じ日が間違いなく明日も来るように思っています。
ところが、ある日、スパスパが効かなくなります。
朝の目覚めが、昨日のようにすっきりしない、いくら吸っても何だか重たいだけで、あの爽やかな意識の目覚めが無い。
たぶん、この感触はしばらく続き、一度か二度、やけにきりっとする朝があるかも知れない、がしかしそれで終わりです。
永遠に、あの爽やかな目覚めの朝は来ません。

そして、スーパースーパーの鎮静作用も無くなってしまいます。
いくらタバコにむせ返っても、心の安らぎを得ることができなくなります。

タコちゃんはやめたんだろう・・・なんでわかるの?
解るんです。判るんです。
周りに同世代の喫煙者が片端から末期を迎えています。
タバコの魔法が切れてしまった喫煙者をまざまざと見ています・・・

人生の悲喜こもごもには意味があります。
もちろん、タバコで誤魔化すこともありです。
タバコをやめるとかやめないとか、生真面目に考えているうちは幸せです。
しばらくすると、やめなくても、タバコの魔法がとけてなくなります。
タバコの魔法にもエネルギーが必要なのです。

おおこわっ
やっぱりそうか、人生は・・・

これも、つつぐかも?

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発情フェロモン

先日、動物病院の女先生と話をする機会があった。
世は、春、桜咲く春、そして発情の季節だ(ったかな、春先らしいから)。

人間社会は男性中心社会だから、男根を誇り、それに女性はメロメロになる、というような話がある。
男の臭い、男のしぐさ、女性はそれで発情する?

動物の世界では、メスが発情すると、オスがそれに引き寄せられていくそうだ。
オスの発情は、メスの発情によって起こる、メスによっていつでも発情できるのがオスだという。
動物の世界で、交尾を「かける」というような言い方をするが、かけあわせるということかと思う。
発情したメスにオスを近寄せると、ほどなく交尾になる。

そのとき、メスはオスを発情させるフェロモンを発散するらしい。

ところで、夜の繁華街、男たちは人造フェロモンをふりまいた女性に引き寄せられる。
そのフェロモンというのは、いわば香水のようなものだったりするとか・・・
最近は、男も香水をつけている。
これは、誰を相手のフェロモンになるのだろう。

認知療法では、理性的な判断が問題になる。
フェロモンも感情を引き起こす事象のひとつだろう。
これが、快く受け入れられる場合は、春、春、この世の春は輝きに満ちている。
しかし、これが歪を生じる場合、春はうっとうしい季節なのかも知れない。

人類に限らず、生きるものは、両性の出会いというドラマを繰り返しながら、子孫を残してきた。
その中で、失恋するのは人間に限らないが、人間はまたのチャンスというふうに考えられずに、すっかり落ち込むオスもいる。
絶対の人と、交尾の相手とは、離れたり近づいたりする、命のありようなのだから、と考えても振り回されるかな。
問題は、絶対という考えであることに気がつけば、広く見えるようになる。
・・・続くかも?

つづきはこちら

悲しさ

悲しい、哀しい、かなしい
心のきしみ、隙間風、もののあわれ、※※しいは、形容詞です。心のようすです。

ふつう、感情のもとになる事象があるというふうに考えます。
出来事があって、悲しい感情が起きる。
悲しい出来事、というようにも表現します。

認知心理学的には、事象から引き起こされる感情は、ときに認知のゆがみによって心に問題を起こすとされています。
感情が、問題を起こす場合に認知のゆがみと考えます。
認知のゆがみというとき、心に問題を起こすことと、セットになっています。
心に問題を起こさないことは、どのような感情も、そのままでいいわけです。
問題を起こす感情とは、抑圧感情というものです。自分を責め苛む感情です。

前にも書きましたが、感情と抑圧は、そのままでは心が暴走して生命の危機に瀕するとき、脳が起こす防衛手段です。
恐怖や不安がそうです。

悲しい出来事、というのは悲しいと感じる心があるから感じることです。
それが、心に重圧となって自分を抑圧するとき、心に問題を起します。

悲しみは自分で癒すことができます。暮らしの時間が味方してくれます。
悲しむことは良いことです。大切なことは悲しみには、悲しみ方があるということです。
悩みや不安、いろいろな感情は生きていくために大切なものです。
しかし、悩み方、不安の受け止め方があるということです。

禁煙も、いろいろな感情を野放しすると、後から大変なことになります。
禁煙至上主義の方は、荒療治が平気です。矢でも鉄砲でも来いなどという気分になります。
そんな方は、実は生活一般にそのような高圧的な考え方があり、周りに疎んじられます。
押し渡る生き方も、いずれ終わりが来て、すべての清算が待っています。
早く気がつけば、気がついた分だけ残りが楽に生きて行けます。

納棺夫日記を手にして

「おくりびと」がアカデミー賞を獲って、ローカルの映画館で見ることができるた。
これまで、自分も数十人の人をおくって来たのだが、きちんと向き合ってはいなかったと感じた。

ずいぶん前にビデオで「お葬式」という映画を見た。故伊丹十三監督が、ラジオ番組で普段見聞きしない「葬式」のドキュメンタリー風な映画を撮ったというような話をしていたのを聴いた。いろいろなシーンがあったので、細かいことは別として、葬式をドキュメンタリー的に描いているのは納得した。

映画はすべてドキュメンタリーだと思う。※アニメは別かな
映画の中にある、生老病死は、舞台演劇などのように真似ではなく、本物そのものに見える。
舞台演劇の中で、たとえば殺人を演じても、実際にそれが起きることはない。あったら大変だ。だから、観客はどんなシーンも安心して立ち合うことができる。
映画は、たとえば武士の立会いのシーンがあったとしたら、腕が切り落とされ、首が飛ぶ、そのものを描写する。しかし、あくまでもスクリーンの中でのことなので、これもまた、安心して観賞することができる。

さて、「おくりびと」は、ドキュメンタリー的といえば、納棺という仕事をする側から描いたものである。
一般のひとは経験することのないものが見えてくる。納棺師の側から事象に立ち合うことになる。
その感想は、また別の機会に。

さて、その「おくりびと」の原作である「納棺夫日記」を手にしたのだが、小説の場合、書き手つまり映画で言えば主人公の心の中から事象に立ち合うことになる。ここでも、読む自分がその書き手になるのではないから、主人公が味わう四苦八苦が読み手に苦痛を与えることはない。安心して読むことができる。

実は「納棺夫日記」のテーマについて踏み込むことも今回はめざしていなくて、真の真、自分自身のドキュメンタリーとの関係について書こうと思っている。

自分自身の暮らし、仕事や学校、家庭、仲間や家族、夫に妻に、恋人、住んでいる場所。
映画や演劇は、その場を去ることができる。いやになれば、途中で逃げることもできる。
しかし、自分自身の現実は、いつも自分とともにある。
その場を逃げれば、逃げた先が現実となる。

さて、「納棺夫日記」の中に、目的地のことを考えることより、行き方のことばかりが語られる、というような部分がある。
目的地とは、例えば「京都」へ行くこと、行き方とは、どのルートを通るか、車か新幹線か、切符のことである。
この場合の目的地とは「死」である。人は誰でも必ず死ぬ。金も地位や名誉もいっさい捨てて、家族や兄弟や恋人と別れることになる。
なのに、金や地位や名誉にこだわり、周りも人といさかいを繰り返し、明日はない自分を苛む。
※死んだ後の霊魂のはなしではない。
ゴールである「死」から、生を見させてくれる「納棺夫日記」、自分のことを見て、何もかも「許して」あげたいと思う。
喫煙も禁煙もどちらも自分の命のドラマ、それはそれで愛しいくはないか、悲しくはないか、そんなことを思う。


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パソコンやると顔が赤くなるんです

昨日、理美容が一緒のお店に行った。
アシスタントの若い女性は、ぼくの頭をマッサージしながら
「固いですね、もっとやわらかくしないといけませんね」
「いゃぁ、ここんところパソコンに張り付いていたからなあ」
「パソコンやると、顔が赤くなるから、好きじゃないです」
「えっ・・・?!」
思い当たることがありました。

『タコちゃん、顔がディスプレーで焼けるのかな、顔が赤いよ』
と連れ合いに言われたことがあります。
『液晶画面で顔が焼けるわけがないだろう』
と答えたものの、鏡を見ると赤く見えます。

脳はエネルギーや酸素を体全体の20パーセントを消費するそうです。
酸素不足や栄養不足などなど、脳が一番先にダメージを受けるとか。

パソコンに向かっているときは、その時間中、思考をめぐらし脳にたくさんの血液が流れ込みます。
それが、顔を赤くするのだと思います。なるほどと、合点したわけです。

今後は、この赤みに気をつけようと思います。
心の赤信号なのです。

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心が萎える夜

したり顔で禁煙の向こうから・・・というのも、ここいらが限界です。
禁煙を軽く見ていると、大変なことになります。なります。なる。
しかし、たかだか、ニコチン麻薬依存症です。

ブログ村をエスケープしました。
ここに来てくださる方は、真の友かもしれません。
内面と一般化したことと、どうもうまくまとまりません。
したり顔は、そもそも無理です。

実際のところ、禁煙なんてつまらないことです。吸いたければ吸えばいいし、やめたければやめればいい。
やめることで、ニコチン麻薬中毒に正面から向き合い、それはそれで貴重な経験となります。
やめるのは、ふたつの意味でいいことです。
ひとつは、タバコを吸っていたからやめられるということ、ふたつはニコチンで生きてきた人生と向き合えること。
人生と向き合うのが苦手な人は、タバコをやめません、やめた自分、やめたあなたは、辛いけれど向き合うことになります。

ニコチン麻薬が必要な人生というのは、逆手に見て、ニコチン麻薬があったからやってきた人生です。
禁煙は、ニコチン麻薬なしの人生を、ふわふわしながら生きることです。
それがいい、それが面白い、つくづくそう思う、そこが依存症からの旅立ちです。
・・・、気が向いたらコメントくださいね。
ブログ村にはさらしませんから、一緒に!遊びましょ
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